純正玄米食で強度の貧血になって
(UYさん)
2013/3月

 

○教室に通うようになったきっかっけ

約7年前からマクロビオティックを生活に取り入れている、10歳の娘を持つ母親です。

昨年の8月半ば、慢性的なだるさ、無気力、息切れ、眠気、イライラなどの症状があり、9月の定期検診でヘモグロビンが1年前の9.4から8.3に下がっていることが判明。マクロビオティックを始めて以来ずっと治まっていた、「足がつる」ことが続き、これはなにか変だと考えるようになりました。ネットで「足がつる マクロビオティック」と検索。「マクロマクロビマクロビオティック」というブログで恭子先生の著書の紹介があり、はじめて玄米菜食によるミネラル不全を知りました。すべて、当時の私の症状に当てはまり、すぐに『ハッピーマクロビオティック』と『らくらくマクロビオティック』を購入。3日後には基礎科前期を申し込んでいました。

恭子注:私が「ハッピーマクロビオティック」「らくらくマクロビオティック」の2冊を出版した目的の一つは、今の飽食の人々に、真の健康になる食事法を伝えたかったことと、実はもう一つ、マクロビオティックで逆に、健康から遠ざかった人々に、やはり、真の健康になる食事法を伝えたかったこと、があるのです。


マクロビオティックを始めた当初、クシマクロビオティックの教室に通った経験がありましたが、家族への負担も大きく、もう習い事はやめようと思っていました。そんな私に通学を決心させたのは、先生の言葉に経験に裏付けられた説得力があったことと、先生からの親身なメールです。月1回1年かけて基礎科前期を受講しています。

○マクロビオティックとの出会い

 そもそものマクロビオティクとの出会いは、約8年前に気管支炎を患い、半年間抗生物質による治療を続けたものの、一向に体調が良くならず悩んでいた時、夫から「こういう方法もあるよ」とマクロビオティックの本と雑誌を手渡されたことでした。夫は20年近く前に父を直腸がんで亡くしているのですが、当時、知人からマクロビオティックを教えてもらい、化学的な治療以外の道を探っていました。結局、義父はマクロビオティックを実践することなく亡くなりましたし、夫も自ら実践することはありませんでしたが、その考えに共感し心に留めていたようです。当時、私にもマクロビオティックのエッセンスを話してくれましたが、全く興味を持てず、ただ反発だけを感じた記憶があります。

 でも、その時は久司道夫先生の本や雑誌に書かれたマクロビオティックの考え方がストンと腑に落ちました。自分の体調は西洋医学では良くならないような気がしていましたし、なにより心に響いたのは、マクロビオティックという生き方が世界平和につながるという点。それまで苦手で意義を見出せなかった料理を通して、世界平和に貢献できることに感動し、マクロビオティックを学び始めました。

○マクロビオティックを学ぶ

初めは本を見ながら自分なりに実践してみましたが、陰陽も料理法もわからなかったので、やはりちゃんと専門家に指導しておうと、クシマクロビオティック系列の先生に望診していただきました。「陰陽両極の過剰で身体のバランスが崩れている。陽性過多で肺が悪い」との診断。食箋をいただき、マクロビオティックの学校に通い始めました。月1回、幼い娘を預けての新幹線通学は正直大変でした。実家から遠く離れ、頼れる人がいない状況で、自分の身体を強くしなくてはいけないこと、もう一人子供が産みたいという思い、その二つが私の原動力でした。足かけ2年通学し、共に学ぶ仲間もでき、半断食セミナー、カンファレンスへの参加、マクロビオティック中心の生活でした。

 体調は少しずつ良くなり、胸が締めつけられるような痛みも減っていきました。半断食では大量の痰や宿便が出たり、数日間40度近い熱が出たり、一通りの排毒を経験し、自分の身体の変化を感じるのは楽しかったです。食の大切さや陰陽、九星気学など、それまで知らなかったことを学ぶ喜びもありました。朝は3時4時に目が覚め、このまま右肩上がりですべてが良くなるような気がしていました。

○マクロビオティックをして変わったこと

・くせ毛がだいぶおさまった

・体臭が減った

・手足の湿疹が消えた(かぶれにくくなった)

・蚊に刺されにくくなった

・花粉症・鼻炎が治った

・腰痛・肩こりが減った

・生理が周期的にくるようになった

・自然に感謝する気持ちが芽生えた

・自然素材が好きになった

・人を羨む気持ちが減った

・病気やウィルスにビクビクしなくなった


恭子注:まさに、マクロビオティックをして得られる素晴らしい健康ですね。
そして、我が教室の受講生方に言っているのは、実は、この先があるということです。
つまり、「2年目からの恭子式マクロビオティック」に変えないと危険だとということです。

例えて言えば、飽食をして不健康になっている人がマクロビオティックに出会って健康を取り戻すまでのお話は、シンデレラが王子様と結婚するまでのお話です。これは結構ドラマティックな、それなりの苦労があるお話です。でも、「2年目からの恭子式マクロ」はそのあと、シンデレラが王子と結婚して、からのお話です。どうでしょう、私たちの人生は、結婚してからの方が長いのではありませんか。結婚して、王子様がそののち、王様になり、シンデレラは王妃様になり、子供も育て……。と長い長い人生です。王様、王妃様になれば、国の政治をしなければいけません。国民を幸せにする重い責任の仕事です。


○停滞期

 もっと上のクラスを受けることもできましたが、負担の大きさを考えて、学んだことを自分なり実践することにしました。はじめの「陽性過多」という望診が頭から離れず、ずっと陽性をとらないといけないと思い、努めて陰性になるようなマクロビオティック食を心掛けていました。でも、なかなか二人目を妊娠することがなく、年齢的に産めなくなるのではと気持ちばかりあせっていました。

○2回目の流産

2010年待望の妊娠。飛び上がるほどうれしいのに、身体はとても辛く、初めの流産の時と同じような感覚でした。実は娘を産む前に一度流産の経験がありました。祈るような気持ちでしたが、結局流産。また流産するなんて、まだマクロビオティックを極められていなからダメなんだと落ち込みました。

恭子注:私もそうでしたが、マクロビオティックで画期的に健康になった人、難病と言われる病気がマクロビオティックで健康になった人ほど、そのマクロがいいという思い込みの呪縛から逃れられません。そして、その体の不調を、マクロを守っていないからだ、と自分を責めることをします。


貧血

2011年9月の定期検診でヘモグロビンが9.4、貧血と診断されました。実はその2年前から徐々にヘモグロビンが減少し始めていたのに、気に留めていなかったのです。この時点でやっと自分のやり方に疑問を持ち始め、西洋医学と代替医療(漢方とホメオパシー)の両方の知識を持っている先生に診てもらいました。「胃が弱く、玄米が身体に負担になっている」との診断。いままでの食事療法(できれば玄米菜食)で貧血を治したいという私の意向に沿って、主食を消化の良い長岡式酵素玄米または分づき米に小魚を加えたものに換える、運動を取り入れる、お茶を鉄瓶で沸かすなどの提案をしていただきました。

 長岡式酵素玄米は小豆入り玄米を独特の方法で炊き、専用のジャーで3日間発酵させたもの。3・11を経験した後に電気ジャーを使うことに抵抗がありましたが、悩んだあげく取り入れることにしました。それから恭子先生に出会うまでの約1年間、基本的には酵素玄米、たまに分づき米とジャコを食べるようになりました。ただ、どうしても動物性のものを摂ることに後ろめたさがあり、菜食になりがちでした。


恭子注:インターネット上では誤解が生じるので、あまり言えないこともあるのですが、マクロを続けていて不調になった人は、結構、この食べ方に変える人がいます。
実は、これでは、根本の改善にならないのです。亡くなった方もいます。


○健康

どんなにいろいろな健康法を実行しても、風邪もひくし、ケガもする。でも、病気をしても治ればいいのよ」、初めての教室で先生が言われました。正直驚きました。マクロビオティックをちゃんと続けていたら、体調は良くなって当然、良くならないのはやり方が間違っているのだとずっと思っていましたから。

人間だからぶれることもある、でもそれが当然。ぶれたらまた修正すればいいのよ。私だって同じよ」とも。先生の人間に対する温かい目と謙虚さ、いままで勝手にしょい込んでいた肩の荷が降りた感じがしました。



恭子注:人間界には100%はないのです。りくつではなく、私の授業を受けていくと、心が楽になる、と皆さんおっしゃいます。

2年目からの恭子式マクロビオティック

 ヴィーガン(完全菜食)であることが優れていることのように思っていましたから、誰かに玄米の欠点を指摘されると、もうその時点で心がシャットアウト。でも、先生の「2年目からのマクロビオティック」という考え方は素直に聞くことができました。それは先生の言葉が厳格なマクロビオティックを経験された上でのものだったからだと思います。

○病気治しのためのマクロビオティック

 先生は病気治しのマクロビオティックになってはいけないと言われます。

これまでの私はまさにそうでした。外食して、注文した料理に思いがけず肉が入っていたら避けて残したり、食箋のために季節外れの野菜や果物を探したり、実家の母が作る料理も心からおいしく食べられなかったり。世界平和どころか、他者への配慮に欠けていました。これからはもっと全体が見渡せる広い視野を身につけたいと思います。

恭子注:ボランティア、というと、どこかに出かけて行ってしないといけない、とか、「愛を」というと、世界人類へ愛を、と大上段に思う方が多いですが、実は、愛をかけないといけないのは、まず、家族です。外面(そとづら)よりも内面(うちづら)をよくすることです。健康の基は、家庭です。世界人類ではなく、ちょっと隣の人を笑顔にすることです。

○心の鎧

先生から教えていただいた天然植物由来のミネラル剤は抵抗なく飲むことができたのですが、血液内科の主治医から処方された鉄剤(フェロミア)はどうしても飲む気になれないでいました。7年かけてケミカルなものを身体から排除してきたのに、安易に薬に頼るなんて敗北のように思えてならなかったのです。
恭子注:私は、「結果がすべて」です。
どんなに頭で考えた理想の健康法、食事法をしても、身体の具合が悪ければ、意味がないではありませんか?
それと、医者、西洋医学、西洋医学の薬、もすべて、神様が必要だったから、あらわしたもの、です。ただ、かつての私がそうであったように、薬漬けがいけないのです。「過ぎる」というのがいけないのです。肉も魚も砂糖も「過ぎる」のがいけないのです。


3回目の教室で「主治医から薬を飲まないならもう病院に来なくていいと言われてしまった」と相談すると、先生があっさり「鉄剤飲んでみたら」と言われました。初めはキョトンとしてしまったのですが、帰り道、「自分の変なこだわりで体調を崩し、周りに迷惑をかけている。私はいままでなになにをしていたのだろう。先生の言われるように鉄剤を飲んでみよう」と思えてきました。かんじがらめだった私の心を先生の言葉が解き放ってくれました。次の日から、処方通り鉄剤を飲んでいます。

○感謝の気持ちを持つ

 先生は常に感謝の気持ちを忘れてはいけないと言われます。

私は遠方に住んでいるため、横浜の実家に前泊し、教室に通っています。初めての教室の日、出がけに母が一緒について行こうかと思っていると言い出しました。びっくりして、料理教室に行くだけと伝えましたが、なにかよくわからない病院に行くのかと思い心配していたことがわかりました。2回目の帰省の際は両親から神妙な面持ちで「家族に負担かけてこんな遠くまで、自分自身もつらいだろうし、やめたほうがいいのでは」と言われました。いままでの経過、どうして先生の教室に通いたいのか、家族のことなど正直に話しました。マクロビオティックのことを話しても、あまり理解してもらえず、徐々に両親に本当の気持ちを話さなくなっていました。貧血のことも話せば、どうせすぐ病院に行って薬を飲みなさいと言われるだけ、自分は間違っていない、必ず治ってみせると肩肘張っていました。でも周りから見れば、明らかに体調不良。離れているからこそ、両親には余計に心配かけていたのです。いまでは、二人とも両親なりに理解してくれ、月1回の帰省を心待ちし、協力してくれています。これまでの自分が独りよがりだったこと、たくさんの人のおかげでいまの自分があることに遠回りしてやっと気づけるようになりました。


恭子注:最初の授業でいつも言うことは、「皆さん、それぞれ、大変の病気を持っていたりして、何とか治したい、と思って今日ここまで、いらしたと思います。でも、入院していたらここまで、来れませんね。また、電車賃、受講料というお金もあったのですね。家族に病人がいて介護が必要だったら、来れません。送り出して理解してくれる家族のおかげでもありますね。」と話をすると、みなさん、ちょっと、自分のそれぞれに自然に感謝の気持ちがわきあがります。
感謝の気持ちが出たときの自分の心を観察してみてください。穏やかです。心が穏やかだと、良いホルモンが出ます。つまり、健康になる早道なのです。

○いまに満足、今日に満足                            

自分の思い描いた健康を追い続けてきたように思います。教室で最近の体調を訊かれ、「朝も早く起きられないし、昼食後は眠くなってしまいます」と私、「でも、教室に来る前と比べてどうなの?」と先生。そうだ、一泊二日で教室に通うことへ体力的な不安を感じていた私が、月1回の教室を楽しみにしている、こんなにも体調が良くなっていたのに、感謝もせず、もっと、もっとと欲を出していました。足るを知ることのむずかしさと大切さを教えていただきました

恭子注:「○○よりマシ」は、私の健康になる考え方です。

○6:4でいい

 私には5つ下の妹がいます。待ちに待って産まれた妹でした。自分の娘にも兄弟姉妹を持たせてやりたいと思っていました。今度こそマクロビオティックで完璧な子育てをしたいという気持ちもありました。娘の時には無知で、不十分なことしかしてやれなかったという思いがあったからです。もう歳だし、あきらめなければと自分に言い聞かせても、心が素直に言うことを聞いてくれません。

教室では「6:4でいい。10を望むから苦しくなるのよ」と教えていただいています。ある時、先生から「一人産めただけで十分よ」と言われたことがあります。また娘のクラスが学級閉鎖になり、教室をお休みする時がありました。先生に欠席の連絡をした際、「皆がインフルエンザに罹っても、娘さんが元気でいられるということは食事がいいということですよ」と言っていただきました。とてもうれしかったです。自分の身体を省みなかった私が娘を授かり、これまで健康に育っています。これ以上望む必要はないのでは。この子をいままで以上に大切に育て、内向きになっていた自分の目を外に向けて、人生を楽しんでみようとようやく思えるようになりました。

恭子注:人生の目的は、病気治しではありません。仕合わせになることです

○以前の食事

 朝  長岡式酵素玄米

    味噌汁(小松菜、油揚げ、わかめ)

 昼  長岡式酵素玄米

    切り干し大根の煮物

    とうふステーキ

    かぼちゃの蒸したもの

    かぶの塩もみ

    三年番茶

 間  おにぎり(長岡式酵素玄米)

夕  長岡式酵素玄米

   さといもコロッケ

   切り干し大根

   キャベツのおひたし

   味噌汁(朝と同じ)

   三年番茶

便り 大2、小7

○現在の食事

朝  梅生番茶

 ミネラル剤

 鉄剤(フェロミア)

昼  分づき米(雑穀入り)

   こうふうカツ

   きんぴらごぼう

   キャベツとラディッシュの千切り

   納豆

   味噌汁(とうふ、ネギ、油揚げ)

   三年番茶

   ミネラル剤

   鉄剤

夜  分づき米(雑穀入り)

  さわら塩焼き

   きんぴらごぼう

   温奴

   菜花の胡麻和え

   味噌汁(昼と同じ)

   三年番茶

   ミネラル剤

   鉄剤

便り 大1、小7


恭子注:私がまず、この方(貧血)に指示した食事は、
1、玄米を止めて、分づき米にすること。
2、蛋白質、まずは、植物性蛋白質を入れること、さらに、調子を見て、動物性蛋白質(魚一切れ、または、鶏肉のささみ、時には卵一個を一日に一回摂る)

理想的な食事ばかりというわけにはいきません。でも、食事が楽しくなりました。いままではおつきあいや外食の時、後ろめたい気持ちで心から食事を楽しむことができませんでした。いまはどんなものでも感謝していただけるようになりました。

○ヘモグロビンの変化

 2012年12月から鉄剤(フェロミア50mg)を1日2錠内服しています。主治医の先生からは、5月まで鉄剤を続けて、貯蔵鉄の数値が上がっていれば治療を終了しましょうと言われています。

2012.9      8.3

2012.11     8.9

2013.1      12.1

2013.3      13.0


恭子注:玄米でミネラル不全が起きたことを、発見するのは、貧血です。血液検査で、わかるのは鉄分だけですが、鉄というミネラルが減ってきたら、他のミネラルも減っていると思うといいです。
また、11.0までの値は大丈夫です。
11を切ったら、対策を考えないといけません。


○恭子先生へ

 この半年で貧血も改善し、体調は比べようもないくらい良くなりました。なにより気持ちが明るくなり、毎日が楽しく過ごせています。これまでたくさんの気づきをいただきました。先生に出会えたことに感謝しています。本当にありがとうございます。

いつの日か「脾胃の欲するところのもの」がわかるようになり、「我が身、我が子の健康のためだけではなく、地球のことまで考えてマクロビオティックを実践すること」ができるよう、学んでいきたいと思います。今後ともよろしくお願いいたします。

恭子注:「岡田恭子のハッピーマクロビオティック教室」109ページより

 恭子から一言

典型的な、「二年目からの恭子式マクロ」が必要な方でした。

マクロビオティックで奇跡的に元気になった方の落とし穴です。

やればやるほど健康になるものでないと、真実ではありません。今のマクロビオティックは、やってしばらく

の間は、奇跡と言っていいほど病気が治ってきます。しかし、そのままの食事法を続けると、逆に不健康に

なってきます。ときには、死に至ったたくさんの方々を見てきました。